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天の王朝

天の王朝

不思議な世界4

(その50)
超能力者列伝番外(横尾忠則と惑星間の転生)

実際にこうした惑星間の転生を記憶している人、あるいは自分がそうであることに気づいている人は、秋山眞人のほかにもいるのだろうか。おそらく、大勢いると思われるが、その実態はよくわからない。

画家の横尾忠則もその一人ではあるのだろう。UFOコンタクティーであると公言してはばからない横尾忠則は、次のような体験をしたと書いている。横尾が仕事で屋久島のホテルに滞在中、ホテルの裏に広がる松林越しに海を見ているときだ。日は暮れて、空には星が瞬いていた。

・・・(略)そのとき突然ワシ(注・横尾忠則のこと)の魂がワシに語ってきた。
頭上には和志(ワシ)の故郷のシリウスが瞬いているのが見えるか。シリウスで発生した和志の魂は宇宙を彷徨すること五百万年にもなる。この銀河系の彼方の第三惑星の地球に降りてどれくらい時が過ぎたのだろう。和志の魂は今横尾忠則の肉体を借りている。棲み心地はもう一つだ。なかなか和志の思うようになってくれない。一体和志をいつまでこの地上に留めさせたいというのだ。和志は一日も早く和志の故郷のシリウスに帰還して未来永劫、神の懐で輝き続けたいと思っとるのじゃ。和志のこの叫びが聞こえぬか、横尾忠則。一日も早くカルマの輪廻から脱却して和志の元へ来たれ。
(横尾忠則『私と直感と宇宙人』文春文庫より)

横尾は直観力の優れた画家である。この「ワシの魂の叫び」がどれだけ客観的な体験であったかは知る由もない。感覚が鋭すぎるのだとの指摘もあろう。それでも、ここにあるのは紛れもない、宇宙をさまよう魂の輪廻転生の思想であり、カルマの物語である。

横尾の魂が語りかけてきたように、あるいは秋山が語るように、魂は星から星へと転生を繰り返すのか。その確証を持つ人は少ない。そのため、すべては直感にゆだねるしかない。

エマニュエル・スウェデンボルグもまた、宇宙を旅し、いくつもの星々をさまよい歩いたと主張する人物である。その模様は彼が1758年に書いた『宇宙間の諸地球』に詳しい。それによるとスウェデンボルグは、水星、木星、火星、土星、金星、月に住むそれぞれの霊たちと「想念の交換」をしたのみならず、おそらくは太陽系外の5つの惑星の住人の霊と交流したという。

それぞれの惑星の霊は、必要ならば果てしない宇宙を旅して、別の惑星の霊と自由に情報交換することも可能らしい。ただしスウェデンボルグは、輪廻転生は認めつつも半ばそれを例外的に扱っているので、惑星間の輪廻転生については触れていない。それでも精霊界における惑星間の交流が頻繁に行われているのであれば、彼もまた惑星間の輪廻転生を認めないわけにはいかないだろう。
(文中敬称略)

(その51)
超能力者列伝11(秋山眞人)

秋山眞人の驚異の体験に話を戻そう。秋山は、宇宙人の母星であり、秋山にとっても「ふるさと」であるともいえる太陽系外の惑星に向かった。大気圏外で母船に乗り換える方法で、だ。

母船の中では、たくさんの宇宙人が歩き回っていたという。お互いの挨拶はきわめてシンプルで、瞬間的に目をパッと見ただけで相手の意識や気持ちの状態がわかるのだそうだ。だから日本人のようにぺこぺこ何度も頭を下げて挨拶するような必要はない、日本人は相手側の気持ちがわからないから不安になるので何度も挨拶をしてしまうのだ、と秋山は言う。宇宙人は言葉も使うが、小鳥のさえずりを聞いているような独特な響きがあったという。

母船に乗って数時間でその惑星に着いたらしいが、不思議なことに秋山は着陸の様子をあまり語らない。ただ、丸2日間滞在したというその惑星の様子については、かなり詳細に語っている。

「地球と違って2つの太陽があった。1つはやや小さめで、2つとも色はわれわれの太陽と同じような色をしていた」と、秋山はその惑星について語る。太陽が昇ってから沈むまでの時間や、1日の長さは、「私の感覚では地球とそれほど変わりがなかった」そうだ。

秋山によると、その惑星の環境は地球の自然環境とよく似ていたが、植物や昆虫が地球よりもかなり大きかったという。あるとき秋山は、大きな花に向かって三〇センチぐらいある蜂がブーンと飛んできたのを見た。その蜂は地球上にいるスズメバチと似ており、黄色と黒のまだら模様になっていた。秋山はギョッとした。刺されるのではないかとの恐怖心が沸き起こった。ところがよく見ると、針がない。お尻のところがツルンとしていて、突起がまったくなかったのだ。バラの花のような植物もあったが、そこにも棘はなかった。

秋山はそのとき、こう思ったという。おそらくこの惑星のすべての生物は、地球の生物と同じような進化過程を経て発達してきたのだろうが、相手を攻撃するような「闘争的な根拠となる形」を捨てたのではないか、と。

言い換えれば、地球の生物よりもかなり以前に、闘争という想念を捨て去った。それを秋山は直感的に把握することができたという。

宇宙人はそうした秋山の思考を読み取って、次のように秋山に語った。
宇宙人が初めて日本に着陸したのは北海道だった。宇宙人たちは最初、北海道の恵まれた自然に触れ、非常にうっとりした。ところが、ものの数分もたたないうちに、そこの生命のすべての波動、つまり個々の細胞の中にある波動が非常に闘争的な想念の中に埋没していることに気づき、痛ましく思ったという。地球は救いようのないほど野蛮な惑星だったのだ。

しかし、秋山が感動したのは宇宙人の次の言葉であった。
「よし、我々は見せ続けよう。この宇宙には我々のような生き方をしている者がいるんだということを。我々の(闘争的でない)想念をこの地球にもたらし続けよう」――。

秋山は言う。「宇宙人のすごいところは、『地球は駄目だ』と言って、地球を見捨てて帰ったりしなかったことです。それに宇宙人は絶対にこうしろと命じることはありません。ただ、人間が発達するとこうなるのだということを見せて、地球のことは地球人自身に決めさせるわけです」
(続く)=文中敬称略

(その52)
超能力者列伝12(秋山眞人)

その惑星の建物も不思議な形をしていたと、秋山は言う。旧約聖書に出てくるバベルの塔に似た建物がたくさんあった。「渦巻き状のデコレーションケーキみたいな建物」だ。ピラミッド状の建物もあり、それらの形状はすべて、波動的な意味があるという。宇宙人は秋山に、「そういう形自体が、そこで暮らす人達の意識を守ったり波動を高めたりする作用があるのだ」と説明したそうだ。

秋山によると、そうした建物はそのまま母船型UFOになるのだという。住宅兼宇宙船というわけだ。それが高層マンションのように立ち並んでいる。「その光景は圧巻であった」と秋山は語る。

街中の道路は舗装されておらず土の地面だが、水晶のようなガラス質のものが敷き詰められており、キラキラと光っていた。宇宙人はガウンのようなものをまとい、顔立ちはハーフのような美男美女が多かったという。

その宇宙人たちは各自、自分の情報が記録されている小さな石のカードを持っていた、と秋山は言う。地球のIDカードのようなもので、このカードを使えば、食品などの必要物資が支給される。カードの表面には象形文字のようなものが書かれていた。

秋山の解釈では、そのカードでどれだけ支給してもらえるかは、その人がどれだけ創造的な働きをしたかによって違ってくる。カードには、その人がいかに創造的に想念を使ったかが記録され、それに応じた物品が支給されるのだという。

秋山はこうも説明する。
この惑星の人には、いわゆる「競争」や「闘争」という考え方がない。人と人を比較するという概念もほとんどない。勝ち負けがあるスポーツもないのです。ではどうやって文明を発達させるかというと、独創性・創造性を発揮してどれだけほめられるかという価値観が原動力になるのだと思います。

秋山はその惑星のスポーツも目撃した。もちろん、そこには競争はない。「ポスポス」と呼ばれるサーフィンのような遊びだという。まず、気功でやるように両手のひらを向かい合わせ、手のひらの間にある種のエネルギーを作り出す。「思念によって空間からエネルギーを抽出する」のだという。

宇宙人はその抽出したエネルギーを、両手を広げながらまるでゴムを伸ばすように帯状にして、そのまま縄跳びをするように腕を2,3回回転させて体の周りにめぐらせる。すると周囲にエネルギーの球ができあがり、その宇宙人はすっぽりとそのエネルギー・ボールに包まれる。まるで大きなシャボン玉の中に宇宙人が入ってしまったようになる。

準備が整うと、宇宙人たちは思念力によって「シャボン玉」を浮き上がらせ、惑星の大気圏外ぎりぎりのところまで飛び上がったり、サーッと降下したりを繰り返す。上下左右、緩急、自由自在に飛び回る。まるで宇宙サーフィンだ。エネルギーの玉は、中に入っている人のオーラに反応して色とりどりに輝く。「たくさんの光が乱舞する姿はとてもきれいだった」と秋山は言う。
(続く)=文中敬称略

(その53)
超能力者列伝13(秋山眞人)

秋山はその惑星の教育現場も視察した。面白いことに教育現場には時計がない。ところが宇宙人は、地球人よりも時間の捉え方が数段正確だという。そこには、時計など物に頼ろうとする地球人と直感など内なる能力を育てようとする宇宙人の根本的な違いが存在するようだ。

子供たちがいる学校は「テペソアロウ」と呼ばれ、「建物はネギ坊主のような形をしており、教室はらせん状になっていた」。そこでは歌声が絶えることがなく、歌の勉強しかしないのではないかと思うぐらいだった。そこで秋山は、どうして歌ばかり歌っているのかと尋ねた。すると「歌が記憶力をいちばん刺激するから、楽しみながら歌で全部覚えさせるのだ」という答えが返ってきた。ある一定の音楽が奏でられる、または歌えるようになると、ほかのすべての物事を理解しやすくなるのだそうだ。

歌以外の教育法も興味深い。それは「観察」だ。といっても、植物の成長など自然をただ観察するのではない。石や物の波動を感じ取ったりする「観察」である。

五感で感じたことを、別の感覚で表現する訓練もある。においを絵にしてみたり、色を音で聞いたり、においを味わったりする。初期教育では、万物の波動を感知する能力を高める訓練を徹底的にするのだという。

波動を感知する能力の基礎が出来上がると、今度は「いくつもの星系の住人とのコミュニケーション形態を、同時に学ぶようになる」と秋山は説明する。その学び方は「全体像をまず把握する。そのとき、五感をフルに使って、情報そのものの概念をダイレクトに受け取る。そして、細部はあとから磨いていく」のだという。

秋山によると、そのやり方はUFOの造り方と似ているのだという。UFO製造もまず全体の形を造る。水銀のような金属にホースを突っ込み、そこにキラキラ光る粒子を注入する。すると水銀は風船に空気を入れたときのように膨張、これが固まるとUFOの外形が出来上がる。UFO内部は空だが、外側からテレポーテーション操作によって、計器やシステムが組み込まれるという。

秋山は演劇や美術も鑑賞したが、かなりカルチャーショックを受けたようだ。美術館には「赤と青だけで描かれた波動画」というものがあったが、「さっぱり意味がわからなかった」という。

演劇では、注連縄のようなものを中央に垂らして、その周りを天の羽衣のようなひらひらのガウンを身にまとった宇宙人たちが踊っていた。ただ、くるくる回って踊っているだけでセリフもないのだが、集まった数万の観客はしきりに感動の声を上げる。秋山は戸惑うばかり。なぜ、こんなにも感動しているのか。

秋山が推測するに、身振りで表す外側の表現と感情で伝える内面の表現があり、テレパシー能力の発達した宇宙人の観客は、そうした外側のシンボル的表現と内面で展開している無言のドラマをすべて感じ取っていたのではないかという。ただ秋山にも、演劇がかもし出す清涼感だけは十分に味わうことができた。「一種のヒーリング的な効果を兼ねた演劇だったように思う」と秋山は言う。

彼らの食べ物も不思議であった。宇宙人は、桃のような香がする、淡い味の液体と、チーズのような固形食品を食べていた。秋山も一度食べてみたが、あまり口に合うものではなかった。ただ、その液体の効力はものすごく、「ウイスキーのキャップぐらいのほんのわずかの量しか飲んでいないにもかかわらず、その後3日間、全く眠くならなかった。気分は高揚し、頭は冴え渡って、記憶力も抜群に強くなった」。宇宙人は味覚を楽しむというよりも、意識の覚醒状態や肉体の保持を目的に食事をしているようだったという。
(続く)=文中敬称略

(その54)
超能力者列伝14(秋山眞人)

やがて秋山が地球に帰る時がやってきた。といっても、宇宙人が「時間が来たので帰ろう」と言って、連れ帰ったのではない。秋山自身が、その惑星にいるのが嫌になったのだ。その惑星はそれほどのんびりしていて、シンプルすぎたのだと、秋山はそのときの気持ちを説明する。

それは惑星に来て二日目の後半ごろのことだった。その惑星での体験は素晴らしいものだったが、秋山は地球が無性に恋しくなってきた。つまり、一種のホームシックだ。街中を車がブーッと通る騒音が、なんだかすごく懐かしい。帰りたくて、帰りたくてしょうがない。そのことを宇宙人に告げた。

そのとき意外な答えが返ってきた。宇宙人はニコッと笑って「そうでしょう」と言う。「あなたがこれから生きてゆかなくてはならないのは、あの青い星、地球だよ。あの大地の上で、あなたは語り、生き、そして輝いてゆかなければならないよ」

秋山はハッとした。自分が最初に宇宙人に呼びかけたのは、いじめに遭ったりして地球が嫌になったからだった。そして宇宙人と出会い、彼らにいろいろなことを教えてもらい、地球の嫌なことは忘れて、宇宙人に依存していった。言い方を変えれば、宇宙に逃避していたのだ。宇宙人は、そうした秋山の依存症を見抜いていた。「そういう私の依存症みたいなものを、その別の惑星の上で彼らはすべて取り去ってくれました」と秋山は言う。おそらく、秋山がその惑星を訪れなければならなかった大きな理由もそこにあったのだろう。

地球に戻ったとき、秋山は再び奇妙な経験をした。宇宙人の惑星には丸2日か3日間ほど滞在したのだが、地球時間では2,3時間ほどしか経過していなかったのだ。これは逆浦島現象とも呼べるものだ。ご存知のように浦島太郎は、プレアデス(昴)やアルデバラン(雨降り星)の人々に別れを告げて日本に戻ると(左側フリーページの「古典SFの世界」を参照してください)、自分を知っている人は誰もいなくなっていた。向こうでは数日間と思えた時間が、地球では何十年にもなっていた。秋山にはこれとは逆の現象が起きたことになる。

秋山は大いに戸惑った。あの惑星で過ごした時間は何だったのか。もしかしたら、実際に行ったのではなく、シミュレーション的に体験させられただけなのか。秋山は宇宙人に尋ねた。すると宇宙人は、あれは夢でもシミュレーションでもない、実体験だと太鼓判を押したうえで、時間というのは相対的なものだ、と説明した。

「ようするに私たちは、空間を把握するのに縦、横、高さという考え方の軸があって、それにもう一つ意識という軸があります。この軸が変調されると時間の捉え方がまったく変わってくるというんです」と秋山は言う。「時間自体にも一つのエネルギーがあって、そのエネルギーの調節バルブみたいなものも意識の中にあるらしいんです」
(続く)=文中敬称略

(その55)
超能力者列伝15(秋山眞人)

浦島太郎や秋山眞人が体験したとするような時間の差はどうして生じるのか。相対的な時間とは何なのか。

地球の科学でも、アルベルト・アインシュタインの相対性理論によって、時間が空間と切り離されて存在する絶対的な尺度ではないということがわかってきた。時間と空間を合わせた四次元空間(時空)の中では、時間は一つの方向に沿った座標軸にすぎない。

それまでのニュートン力学では、すべての固有時は標準となる時計の位置や速度にかかわらず一定不変であると考えられていた。ところが、時間は一つではないということが観測結果からもわかってきた。四次元座標軸のなかでは、その場所や速度に応じて時刻系はいくらでも存在するのだ。

たとえば、高精度の原子時計を飛行機に積んで地上の原子時計と比較すると、飛行機で移動している時計のほうが地上で静止している時計よりも遅くなる。時間はまた、運動によってだけではなく、重力によっても変わる。高い山の頂上(弱い重力場)にある時計は、山のふもと(強い重力場)にある時計よりも早くなる。

精密な時計ですら速度や重力の影響をうけるのだから、人間が感知する時間も当然変化しうる。簡単にいえば、100メートルを全力で走っている人の時間は、それを周りで見ている人の時間よりも遅くなる。観客にとっては10秒でも、走っている人には10秒未満に感じることになる。もちろん、これはあくまで理論上の話であり、その人が時間を長いと感じるか、短いと感じるかは主観の問題でもある。

同様に理論上は、宇宙空間において移動している物体の中にいる人が感知する時間は遅いはずだ。重力場が弱い惑星上では、そこに住んでいる人が感じる時間は、それよりも強い重力場の惑星に住んでいる人が感じる時間よりも早くなる。

2日間滞在したと感じたのに、地球上の時間では2時間しか経っていなかったとする秋山の主張も、相対性理論を使えば説明できるように思える。ただし秋山自身は、それだけでは説明しきれないと考えているようだ。

秋山は言う。
「地球では同じ波動をずっと保っていますから、意識レベルでも、ここだけは変わらないという部分を持っているわけです。そして同質結集の法則によって、その枠の中では時間の捉え方は大体にこれぐらいだという地球時間が生じてきます」
「ところが他の惑星へ行って、多少ともその枠が広がれば、時間のコントロール範囲といいますか、時間のエネルギーの圧力が希薄になるんです。そうすると時間に対する観念がもっと自由になります」

秋山はこのように考えを広げて、時間はエネルギーと関係があるのではないかと推測する。秋山の説によると、楽しいときに時間を短く感じ、マイナスの感情を起こしたときに時間を長く感じるのと同じメカニズムが人間の意志力と時間の間に生じる。

そう思うようになったのは、秋山が母船内で体験したスクリーン上のシミュレーションからだった。スクリーンには、植物が種子から生長して枯れるまでの光景が映し出される。しかし、その成長の速さは秋山の感情パターンによって変化する。人間の意識が植物の時間を変化させるわけだ。「感情の出し方、または思念波の出し方によって時間自体が変化するわけです」と秋山はみている。
(続く)=文中敬称略

(その56)
超能力者列伝16(秋山眞人)

最後に、秋山眞人が考える宇宙の構造について触れておこう。
秋山も宇宙がどうなっているのか知りたくて、当然のことながら宇宙人に質問した。すると、おおよそ次のような答えが返ってきた。

地球人のレベルから見ると、地球人に感じることができる限界がある。その感度の限界の外側には、地球人の知覚できないもっと広い宇宙が広がっている。宇宙人にとっても、それぞれ感じるレベルの限界があり、そこから先は未知である。

すると、宇宙は無限なのだろうか。秋山がさらに質問すると、宇宙人は言った。「あなたの感じる宇宙空間の中で勉強するようあなたがたは生きているんです」。つまり、知覚できる以上の範囲を知ること自体が生命を進化させるうえで意味がない、という遠回しな言い方をしたのだという。

そうした宇宙人の答えを断片的に繋げながら、秋山は自分自身で宇宙の構造を考えてみた。「宇宙はかなり外側に広がっていて、吸収する部分と拡散する部分が個々にあって、呼吸するような構造になっている。ですから外側に広がってゆく部分が収縮したり大きくなったりを繰り返して、感じる範囲内の宇宙空間の呼吸の数が決まっていて、それぞれのレベルが違うようです」と秋山は言う。

秋山は感覚的にはわかっているようだが、言葉で説明するには限界があるようだ。秋山の説明を私なりに解釈すると、おそらく個々人の意識のレベルによって宇宙の枠(広さ)も違ってくる。それぞれの(おそらく次元の異なる)宇宙は、呼吸をするように収縮と膨張を繰り返すが、その呼吸の数というか振動数もレベル(次元)によって異なると言っているようだ。

たとえば、地球人のレベルで認識する宇宙が100であるとすると、その100の中で知覚できる振動数の宇宙の現実がある。次に宇宙人のレベルで認識する宇宙がさらに広大な200であるとすると、その200の中で知覚できる振動数の宇宙の現実が存在する。しかも、100の宇宙と200の宇宙はある意味で次元の異なる宇宙で、100の宇宙にいる地球人が200の宇宙の現実を知覚するためには次元を飛び越すか、自分の振動数を変えるかしなければならない。大宇宙は、そのような次元の異なる宇宙がたくさん同時に存在する多重構造になっている。

それに関連して秋山は「遠く離れた銀河系にいる人間が他の銀河系へ行く場合は、それなりに肉体的な変調が必要になるようです」と言って、次のようなエピソードを紹介している。

あるとき秋山は、母船内のスクリーンに宇宙の壁のようなものを見せられた。光る綿を集めたような弾力性のある壁で、そこにいくつかの小さな光る球がバーンバーンとぶつかっては、撥ね返る光景だった。そのうち、光の球のいくつかがそれをぶち抜いて外側へ出て行った。これは何の光景だろうと秋山が不思議がっていると、宇宙人はこう言った。これが宇宙の果てなのだ、と。
(続く)=文中敬称略

(その57)
超能力者列伝17(秋山眞人)

秋山眞人が見たという「宇宙の果ての影像」が、実写による光景だったのか、シミュレーションか何かの象徴的な光景だったのかはわからない。それは、おそらくその宇宙人が知覚しうる宇宙の限界、あるいは際(きわ)であったのだろう。それにしても、宇宙の果ての壁にぶつかり、やがてはぶち抜いていく光の球は何なのか。

「ある循環を繰り返した魂が成長過程を超えて違うレベルに参入する瞬間だと宇宙人は言うんです。面白い光景でした」と秋山は言う。輪廻転生を繰り返した魂が進化して、ついには次の次元へと飛躍する瞬間を捉えた影像だったのだろうか。

秋山は聞いた。
「宇宙の果ての向こうには何があるのですか」
宇宙人の答えはあっけないものだった。
「その向こう側の世界は、いまの状態のきみではどうやってもイメージすることはできない」

秋山は残念に思った。やはり人知を超えた神の領域や神霊界というのがあるのだろうか。
秋山はもともと、霊界とか神の存在に懐疑的な考えを持っていた。神を信仰するというのは非科学的なことに思えたからだ。ところが、あれほど高度な精神文明と科学力をもった宇宙人でも、神は存在するという。

宇宙人は言った。
「純粋に科学的にアプローチしていくことによって、われわれは、宇宙に秩序・法則があり、その根幹には明確な意志があることを突き止めたのだ。それは意志だけが単体で存在している。つまり、意識だけの存在である。そこには、初めも終わりもなく、たくさんは一つであり、一つはたくさんである。そして、過去・現在・未来は同時に変えられる」

神について宇宙人がいかなる「科学的アプローチ」をしたかは、うかがい知ることもできない。ただ、最後の過去・現在・未来は同時に変えられるという考えは、私がデジャビュ体験などを通じて導いた仮説と一致する。

おそらく宇宙は、一つの大きな意志で満ちているのだろう。言い換えれば宇宙の本質は、空間も時間もすべてを包み込んだ一つの意識であり、そこには始まりも終わりもなく、過去も現在も未来も同時進行的に存在する。だからこそ、自分の意識のレベルを上げないと、神であるより大きな意識(宇宙)を知覚できない。その大宇宙の意識の中で、私たちの魂は輪廻転生を繰り返しながら、神の高みへと歩み続ける。

最後に宇宙人はこう言った。「秋山、本質的なものというのは、描ききったらとんでもない世界なのだ。だから、君もハードルは高く持て。それ以外に、本質にアプローチする方法はないのだ」
(文中敬称略)

(その57)
超能力者列伝17(横尾忠則)

秋山眞人のように星空を見上げてUFOに呼びかけているうちにコンタクトが始まったという人はほかにもいる。画家の横尾忠則だ。ただし横尾の宇宙人との出会いは、秋山のように10代のときではなく、30代になってからという「遅咲き」であった。

横尾が仕事で都内のホテルに滞在していたときのことだ。昼間、カーテンを開けてベッドに肘をついてテレビを見ていると、目の前がボヤボヤッとしてきたという。次の瞬間、体が15センチぐらい浮いたかと思ったと同時に、「部屋の中の風景がふわっと消えて」、自分がハイテクな建物の中にいること気づいた。すると、向こうから白い服を着た、背の高い3人の宇宙飛行士のような人物がやって来た。横尾はその人物が直感ですぐに宇宙人だとわかったのだという。

宇宙人は横尾にテレパシーで話しかけた。「横尾さんですね。われわれは長い間、あなたをずっと見守ってきました。やっとお会いできましたね。送受信をもっとスムーズにするために、首のところに器具を埋めたいけれど、いいですか」――。横尾はそのまま気を失った。

この不思議な出来事があってから、横尾はUFOを頻繁に見るようになったり、いろいろな神秘体験をしたりするようになったと、小説家吉本ばななとの対談(『見えるものと観えないもの』)で述べている。絵を描こうとか、行動を起こそうと決心した途端に何ともいえないファワッとした気持ちになり、霊感やインスピレーションが浮かぶ。横尾はこれが「無意識のチャネリング(編注:チャネリングとは宇宙的な存在と意識がつながることである)」ではないかと語る。

横尾は秋山眞人と同様、テレパシーで呼びかけるとUFOが現われるようになったという。夜空を見上げて、空域を指定して「波動送信」を開始すると、早いときは5分ぐらいで、遅いときは30分ぐらいでUFOはその空域に現われる。

ただし横尾は、秋山のようにテレパシーの受信に長けているわけではないようで、宇宙人との対話は媒介者を通して行われることが多い。あるとき、次のような会話を交わしたと横尾は言う。

「あなた達はいつからぼくにコンタクトしてきているのですか」
「それはあなたがそう思ったときからです。だけどあなたが考えているよりもっと以前です」
「ではなぜぼくにコンタクトをするのですか」
「私達はあなたを愛してしまったからです。あなたの神のようになりたいという気持が、ずっと私達の所に届いていました」
「あなたたちは何のために地球に来ているのですか。その存在は」
「神の仕事を手伝うためです。だから天使と同じような働きをします。私たちの生命体は女性です。あなたにはその方がいいでしょう。私達は肉体を持たない意識体ですが、あなたの所に飛んでいく時はシップに乗ります。私達が行けない時は私達と縁のある他のシップが私達の代わりに参ります。このことに拘らないで受け入れて下さい。このこともあなたの成長になります。私達が誰であるかは今は内緒。それはあなたを危険から守るためでもあります。いつもあなたのことを想い、愛しています」
(横尾忠則『私と直感と宇宙人』より)
(続く)=文中敬称略

(その58)
超能力者列伝18(横尾忠則)

横尾は、その肉体を持たないという「女性の生命体」のビジョンを見せられたことがあるという。肉体を持たないというのだから、シンボル的な影像だったのだろう。「宇宙服を着用して背が高くキリッとした戦士の姿」だったそうだ。

それは横尾がブラジルのイグアスの滝でUFOと遭遇した夜のことだった。ホテルの部屋で寝ているとき、隣のベッドに、膝から下がベッドに突き刺さった状態で立っている女性が現われた。「暗闇の中だったが、ホログラムのように半透明で青白く輝いていた」と横尾は言う。白い帽子のようなものをかぶっていたため、最初は看護婦かと思ったが、すぐにその女性が体にピタッとした宇宙服を着ていることに気づき、宇宙人であることがわかったという。そのビジョンはその瞬間、幻影だったかのように消えた。

横尾もまた、宇宙人には名前がないと言う。これは秋山と主張と同じだ。彼らはテレパシー能力が発達しているので、いちいち名前で確認する必要がないのだろう。最近は「振り込め詐欺」などでだまされる人もいるようだが、日本人も家族間で名前を名乗らなくても誰だかわかるのに似ている。ただし宇宙人は、コンタクティーのために便宜上名前をつける。横尾は「ケン」という宇宙人ともコンタクトしていたという。

ケンは大きな母船にいて、彼の下には「クルト」をはじめとする「幼体」の宇宙人が3人、いつも働いているそうだ。横尾によると、ケンは地上の下世話なことにも詳しく、結構お茶目なところがある。日本のテレビもよく見ているらしく、「俺は宇宙の丹波哲郎だ」などとふざける。横尾が「もう、丹波哲郎、うるさい」と言うと、ケンは「今日は丹波哲郎じゃないぞ」とおどける。「何?」と横尾が聞くと、「宇宙の電通だ」とか言い出す。このようにケンと横尾でふざけてばかりいると、天使が出てきて、「これ、これ」と諭すのだという。

そのような横尾も、実際に円盤に乗ったことはないようだ。ただし、夢の中ではUFOに乗って地球外惑星に行ったり、地球の内部に入ったりしたと主張する。「夢とは思えないほど実に生々しい体験」であったと横尾は言う。

地球外の惑星はともかく、地球の内部とはどんなところなのだろうか。横尾は、地球の内部にはアガルティという地底王国があり、ヨーガの説く最高中心としてのシャンバラとは、その首都の名前であると言う。「シャンバラには誰でも行くことはできません。本当に選ばれた者だけがアストラル体で行くことが許されるのです」
(続く)=文中敬称略

(その59)
超能力者列伝19(横尾忠則)

シャンバラは、チベット密教で伝えられる不可視の王国の中心地であるとされている。それでも「見た」という人はいるらしく、一説によると、雪山に囲まれた、八葉の蓮の花が開いたような地形にあり、その蓮華の中心にシャンバラ王の住むカラーパ宮殿があるのだそうだ。各花びらに相当する盆地には1千万の街をもつ国が12あり、小王が治めているというから、96の小王国と約9億6000万の街があることになる。

また一説によると、アガルタは4つの運河に区切られ、7つの都市が栄えている。その中心にはひときわ壮麗な首都シャンバラが美しい湖に囲まれてそびえ立っている。そこに住む人々は、ヴィマーナと呼ばれる空挺に乗って都市の間を移動しただけでなく、宇宙の彼方にある遠い星へも行くことができるという。アガルタには世界の大洪水を生き延びた賢者たちが今なお住んでおり、地球外の高度な存在、宇宙人や天使たちと常に接触をもち、協力して地球人の精神的進歩と魂の浄化を図っているともいう。

もちろん、こういった話は伝説の域をでない。伝説は少なくとも11世紀ごろまで遡れるが、その頃の中央アジアはイスラム勢力侵入の危機にさらされており、仏教側の危機意識から生みだされた理想郷、概念上の王国ではないかとの見方が一般的だ。

しかし、横尾の直感はそうした空想説を否定する。「シャンバラの存在を知った時、わたしは電撃的なショックを受けると同時にわたしの波動がシャンバラに向かって矢のように一直線に飛んでいくのがわかりました。地球の内部にある空洞世界の中心シャンバラです」と、横尾は『私と直感と宇宙人』の中で語っている。

横尾によると、シャンバラにはピラミッドがあって、太陽と相対して「磁流」を放出している。そこには宇宙の真理を体得した「アデプト(超人)」が暮していて、覚醒した人が地上に現われれば、その人に波動を送り、魂の意識を進化させる手助けをするのだという。

「わたしはこんな非科学的な物語を単なる夢物語として受け入れたわけではありません。わたしの胸は本当に熱くなりときめきました。この胸のときめきこそ私とシャンバラを結ぶ信頼の糸だと信じました」と、横尾は述べている。

横尾はこう続ける。
地下王国アガルティは網の目のように洞窟や通路があって、世界各地の地上と通じている。その地下への8つの入り口は秘密になっているが、北極にあるという巨大な穴から地球内部に入れるのではないか。
シャンバラの王サナート・クメラは650万年前、レムリア大陸の住人を進化させるために金星から火に包まれた天車(おそらく空飛ぶ円盤)で地球に降臨した。その場所は中央アジアの高原とも京都の鞍馬山ともいわれている。
(続く)=文中敬称略

(その60)
超能力者列伝20(横尾忠則)

シャンバラの王が鞍馬山に降臨したことを横尾忠則が知ったのは、やはり不思議な夢がきかっけだったという。それは1978年7月9日のことで、次のような夢だったと、『導かれて、旅』の中で書いている。

実家の母屋の勝手口に二人の僧侶が突如現われた。横尾が驚いていると、強烈な電気が家の中を支配し始めた。超越的な雰囲気を醸し出す電気で、横尾は畏怖の念に襲われた。二人の僧侶は無言のままその場に立っていたが、「魔王尊なる神をお連れした」とテレパシーのような言葉を送ってきた。横尾は一瞬、その場にひれ伏しそうになった。だが、いくら見回しても魔王尊なる神の姿はどこにもない。ただ辺りの空気が精妙に振動しているだけだった。

横尾はこの夢を見た後、鞍馬山の資料を読んでいるときに、鞍馬寺で祀られている魔王尊とサナート・クメラが同一神であることを知った。鞍馬寺では魔王尊をサナート・クマラと呼んでいるが、明らかに同じ神だ。鞍馬寺では5月の満月の夜に魔王尊を拝するウエサク祭りをするが、チベットやタイ、ビルマ、スリランカでもウエサク祭りがあるのだという。

伝説の中で、魔王尊ことサナート・クメラが金星から降臨したとしている点も注目される。秋山眞人をはじめ多くのコンタクティーたちが、いわゆる金星人が存在すると主張しているからだ。

横尾はシャンバラと宇宙人の関係について、どう思っているのだろうか。
「宇宙人達は地球の内部に空洞があり、シャンバラの存在も知っています。だけど宇宙人でさえシャンバラには一目置いているようです。シャンバラの指示がない限り、宇宙人達も地球に対して勝手な行動が許されないようです。それほどシャンバラは地球にとっても、宇宙にとっても大きい存在なのです」と、横尾は言う(『私と直感と宇宙人』)。

金星人についても、当然のように肯定的だ。横尾は、金星人に会ったというジョージ・アダムスキーの話は本当であると、直感的に確信しているという。さらに横尾は、サナート・クメラが地球に降臨するときに使ったとされる「天車」をUFOのことではないかとしたうえで、次のように語っている。

「わたしがかつて宇宙人から聞いた金星は、二重構造になっていて、地下が居住地区になっているそうで、NASAの調査では金星は灼熱の惑星でとても生物が住める所ではないという解答を出していますが、宇宙人によりますと、それは金星の大気圏の温度で、地表の温度ではないというのです。実際には波動によって計らない限り正確な情報は得られないそうです。わたし達は太陽系の惑星に限らず、この地球の神秘や秘密を知りません」(同)

(編注:筆者は横尾忠則氏を直接取材したことがないため、横尾氏の言葉は彼の著作である『私と直感と宇宙人』『導かれて、旅』『見えるものと観えないもの』『芸術は恋愛だ』)からの引用です。)=文中敬称略

(その61)
超能力者列伝21(北川恵子)

横尾忠則と極めて縁が深いチャネラーに北川恵子がいる。以前この日記でも紹介した、幽体離脱により金星の会議に参加したことがあるというコンタクティーだ。「宇宙神霊(ウツノカムヒ)アーリオーン」とテレパシー交信をしており、その交信内容などを本にして公表している。一時期、横尾とアーリオーンとの間を取り持つ仲介者の役割も果たした。

宇宙人と交信するチャネラーには、いろいろなタイプがいる。完全なトランス(催眠)状態になって交信する人がいるかと思うと、意識は常にはっきりしており、友達と話をするように交信する人もいる。横尾忠則のように主に夢の中でメッセージを受け取る人がいるかと思うと、中には自動書記だけで交信する人もいる。北川恵子の場合は、まさに友達と話をするように、いつでも好きなときに宇宙人と交信することができるという。

しかし、北川恵子も最初から、自在にテレパシー交信ができたわけではないようだ。そこには、子供時代からの試行錯誤とそれなりの苦悩があった。たとえば、会話中に相手の想念がやたらと頭の中に飛び込んできた。秋山眞人がテレパシーを習い始めたころの現象と同じだ。

北川が相手の顔を見て話を聞いている分には問題ないのだが、相手を見ていないときに聞こえる声が、口からなのか、心からなのかわからなくなることが頻繁に起きた。人間関係が気まずくなるなど失敗の連続だったと北川は言う。「相手も、言いたくもない本音を知られて、気分がいいはずはありません」

こうした能力のことを話さないほうが自分のためだと、北川は子供のころからの経験で身に沁みて知っていたが、仲のいい友達ができると、つい見えたことや予知したことを話してしまう。すると、気味悪がられたり、相手を怖がらせたりして友達を失ってしまうのだ。

あるとき、その能力が何かに導かれるようにして別の方向へと動き始めた。
1984年のことだ。北川は正月早々、空海が出てくる不思議な夢を見た。古びた日本家屋(平屋)の前庭に北川が立っていて、北川の斜め上空約2,3メートルの中空に、白い装束を着て髪をゆずらに結った若い男が浮かんで、北川のことを見下ろしていた。

別に言葉をかけられたわけではないが、北川には彼が13、4歳ぐらいのころの空海であることがわかったのだそうだ。その若き空海の衣服は、風になびいて、とても美しかったと北川は言う。彼は両手を広げて中空に静止していたが、何かを語りかける様子だったという。

奇妙なことに北川には、その夢に見た場所が京都の高雄にある気がしてならなかった。そこで1984年1月、実家に帰った際に高雄に出かけた。多分、神護寺であろうという気がして、神護寺に向かった。北川は小学校の遠足で高雄の清滝には行ったことがあるが、神護寺には行ったことがないという。だから神護寺ではないかとなぜ思ったかは、何かの導きがあったとしか考えられないと北川は言う。

ところが神護寺に行ってみても、立派な五重の塔などがあるばかりで、夢に見た場所は影も形もない。それでもどこかにあるはずだと、北川が山門からは見えない建物の裏手に回ったとき、一段低くなった場所に、夢と全く同じ建物と前庭を見つけたのだ。

そこには古びた立て札があり、この古色蒼然とした建物に空海が数年寝起きしたと書かれていた。実際に夢で見たものを目の当たりした北川は、びっくりするというより、実在して当たり前のような気がしたという。そして「そういう受け取り方をする自分には、驚きました」と振り返る。
(続く)=文中敬称略

(その62)
超能力者列伝22(北川恵子)

神護寺へ行ってからというもの、行く場所ごとに必ず何か空海に関係したものがあるなど、偶然にしては出来すぎていることが起こるようになった。「もしかして、空海が私に何かを教えようとしているのではないかしらと思うようになりました」と北川は言う。

その答えは突如現われた。1984年3月20日、頭の中で声が聞こえたのだ。
「四大に礼拝せよ」と、その声は言った。声は、それを行う方法と向き、時間などを事細かに北川に教え、北川はそれに従って教えられたとおりに実行した。

北川にとっては、これは未知の体験であった。これまで会話している相手の心の声が聞こえることはあったが、頭の中でいきなり声がするのは「まるで覚せい剤常習者みたい」だったからだ。そのときの感触について北川は次のように言う。

「体の感覚が日常の感覚より少し薄れて、眉間の辺りから後頭部にかけて幅広のハチマキをしている様に感じられます。その部分は体とは逆に、生き生きと脈打つ様です。声は、耳の3センチくらい上と両眉毛の付け根との交差点辺りで聞こえることが最も多いと思います」

北川は元々、疑り深い性格であったというが、こういう声がするときは、非常に従順な気持ちになっていて、全く疑わないのだという。

翌1985年になると、声はもっとはっきりしてきたと、北川は言う。最初は「モイナ、モイナ」と語りかけるような声が聞こえ、3月に入ってからはしきりに「マーロート、マーロート」と聞こえるようになった。「モイナ」は、北川にとってはよく知った名前であった。北川はなぜかイギリスに実在した「黄金の夜明け団」という組織に興味があり、その統領だった人の奥さんの名前がモイナだったからだ。だが、マーロートという言葉には全く心当たりがない。

3月16日午後、北川がワープロを居間に持ち出して、窓からの木漏れ日を浴びながらボーッとしていると、突然、例の「マーロート」が始まった。だが今回は、聞こえるだけではなく、「頭の中で見えるというか、何と言うか、視覚と聴覚の間のような感じで文字が浮かび上がってきた」という。それも何と英語だった。

You are here under the mission of ZOHAAT.
Your name is MAROOTH.
Shine the glory as sunshine,
Unite the warmth of the sun to cover the chillness of them.

北川が和文のほうがいいなと思うと、続いて和文が出てきた。

汝は、ゾーハートの命により、ここに参れり
汝の名は、マーロート
照らせよ、栄光を 太陽の如く
太陽の暖かさを以て、彼らの凍えを被い尽くせよ。

このメッセージは何か。ゾーハートとは誰なのか。これによると、北川の名はマーロートということになるが、いったいどういうことか。
(続く)=文中敬称略

(その63)
超能力者列伝23(北川恵子)

メッセージの謎は、しばらくはわからなかった。それから2週間が経ったぐらいだろうか。四月になって、当時翻訳の仕事をしていた北川は、初めて行った翻訳会社で一人のフランス人男性を紹介された。その場では挨拶を交わしただけだったが、帰りの電車のホームで再びそのフランス人に出会った。

そのフランス人は、国籍はフランスだが、イスラエルとの混血だという。それを聞いた北川は何を思ったか、彼に向かって突然「カバラ」と言ってしまった。北川は慌てて「知ってる?」と付け加えて、その場を取り繕った。すると彼は「知っているよ。僕は、イスラエルに8年住んでいたし、カバラァ(編注:彼はカバラァと発音した)も勉強したんだ。ところで君は、日本人にしては珍しいね、カバラァを知っているなんて」と言って、不思議そうに北川を見た。
「いいえ、知りません。知っているのはその名前だけです。でも、あなたがヘブライ語をご存知ならお聞きした言葉があるのですが」と言いながら、北川は持っていた紙にMAROOTHと書いてみせた。
「これはヘブライ語みたいだよ。家に帰って辞書で調べてあげる」。彼はそう言って、後日電話をくれる約束をして、その日は別れた。

2,3日して、彼から電話があった。彼によると、MAROOTHとは間違いなくヘブライ語でスペルも合っていた。英語ではMastery of Authority、日本語では「権力の支配」とか「制権力」という大それた名前であることがわかった。北川は一瞬めまいがしたような気持ちになって絶句した。なぜ、自分がヘブライ語を知っていたのか。偶然の一致なのか。なにか自分の前世と関係があるのだろうか。北川はその答えを、自己流ではあるが、瞑想に求めた。

瞑想をすると、身体が下の方に沈み込む感じがして、北川の意識は前頭部に集中する。このとき、眉間の辺りが蚊に刺されたように膨らんでいるように感じることが多いという。触ってみると、本当に膨らんでいるのでびっくりした、と北川は言う。

少し話が飛ぶが、ここで一年半以上にわたってチベット密教の修行をしたという思想家中沢新一の体験を紹介しよう。瞑想により頭の一部が膨らむという体験は中沢も経験しているからだ。

中沢がネパールに住むチベット人の密教僧のもとに弟子入りして、密教の行者になる訓練を受けていた1980年のことだ。チベット密教には「ドラッグをつかわずにただ瞑想のテクニックによって現実を変容させたり意識の深層領域に下降したりする訓練」がある。

カトマンズから車で四時間ほどの山の中にある山寺で、中沢は「意識を身体の外に送り出し、死の状態をコントロール」するための激しい瞑想修行をしていた。「自分の頭上に『阿弥陀ブッダ』の想像的なイマージュをつくりだし、その胸めがけて、自分の胸のチャクラに観想した『心滴』という赤い光の滴をとばしていくプロセスを繰り返し訓練する。光の滴が胸から上昇するたびにものすごいエネルギーが頭頂にむかってつきあげ、その滴が頭頂を離れる度に」中沢の眼球の中にたくさんの青い火花のようなものが飛び散るのだという。これにより頭頂には肉の塊のようなしこりができる。

その修行を始めて2日目ぐらいから中沢の頭はガンガンと鳴り出し、頭頂にできたしこりが痛みだした。4日目になると痛みが少し消えて、そのかわり頭頂の肉がこんもり盛り上がり、「そのてっぺんにジクジクした血まめのようなものがでてきた」という。ラマ(密教の師)によると、それは修行がうまくいっていることの証拠なのだと、中沢は述べている。

そしてとうとう七日目の晩、中沢は意識が身体の外に出て、自分の体を見下ろすという、いわゆる幽体離脱体験をするのだ。これがきっかけとなって中沢は、密教修行の新しい段階へと踏み込んでいったという。

中沢や北川の話からわかることは、瞑想は時に頭の一部が膨れるなど肉体的な変調や変化を伴いながら、修行者の潜在能力を高めていくということだ。
(続く)=文中敬称略


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